常夜灯

眠れない夜のやつ

公園への不義理

  どこからかやってきた鬱屈とした気持ちで身体がパンパンになって、慰めにYouTubeを観たりしても途中で我にかえってしまう。逃避した分、戻ってきたときはさらに鬱々としてしまって、暴れ出したいような、消え入りたい様な気持ちになる。

  そんなわけで、家を出てコンビニでホットコーヒーを買い、公園に向かった。もう大人なのに、深夜に家を出るのは悪いことをしているみたいでどきどきする。ほんとうの悪いこと、以外でできる悪いことがまだ残っているのは、なんというか救いである。ナンセンスさに生かされているのだ。

  あてにしていた公園のひとつ目はベンチも滑り台も撤去されていて、草がぼうぼうに生えていた。それなのに災害時の避難場所に指定されたことを知らせる看板が立っていて、なんだか人間の不義理を感じてしまった。

  小学生の頃に拠点にしていた公園だった。公園というよりは教会前の広場といった感じで、その教会も当時から使われている様子はなかったので、あの一帯は住宅街の中でずっとちょっと浮いている。

  2軒目の公園は大きな道路沿いにあって、マンションとマンションの間にうまく収まっている。もしかしたら公園の方が先にできたのかもしれない。幼い頃によく遊んだ公園なのに、立ち入るのはそれ以来に思えた。

  最近藤棚に工事が入っていたのは知っている。実際に藤棚の下に潜り込んでみると、床に敷かれたコンクリートタイルは何一つ欠けずにきちんと整列し、真っ白の金属柱が2つ、美しいネギみたいにまとまって藤棚を支えていた。

  偉い人たちはまだこの公園を公園にしておこうと思っているんだな、と安心した。でも同時に、自分がひどい人間のようにも思えてくる。

いつもは存在すら思い出さない古い公園に修繕を入れること。滑り台を取り上げて荒地で放っておく公園を地域の避難場所に指定すること。人間というか、わたしの、これは不義理だ。

  なんにせよ、わたしはこんなちっぽけなナンセンスで気が晴れてしまう人間なのだ。ぼーっとすることが極度に苦手なのに、イヤホンを外して携帯電話もしまって、ただベンチに座っていることができた。そして、それがとても嬉しかった。しんとした気持ちになって、この気持ちをそのまま寝所まで持って帰らねば、と思う。

 

これ以上ものを考えたくないので、今日はこれでおしまい。